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【F30プロジェクト】大学時代から女性の働く場をつくり続けて40年。田子社長が大切にしてきた、みんなが幸せになれる働き方とは。

2030年までに“女性活躍”という言葉がなくなる世界をめざして、働く女性リーダーを応援するF30プロジェクト。

今回は、“女性起業家第一世代”と言える1980年代に起業し、今は官庁や企業のICT関連ヘルプデスクの運営や出版事業を行う、株式会社コスモピア(以下コスモピア)の代表取締役 田子みどり(たご みどり)さんにお話を伺いました。

( 取材・文:佐々木 美穗/撮影:小松原 亜玲 )

 

田子さんが大学卒業と同時に起業をして設立したコスモピアは、40年にわたり、女性が働きやすい環境をつくってきた会社です。いまでこそ当たり前になったテレワークを1980年代から取り入れ、社員1人ひとりの状況に合わせて柔軟な働き方を推進しています。いわゆる企業の常識にとらわれず、独自の体制を生み出した経緯などに興味がわき、お話を伺いたいと思いました。

田子社長は「イヤなことをしたくない、楽しく働きたいと思ったらそうなっただけ。小さな会社だからできたのよ」と笑いながら、これまでを振り返ってくださいましたが、そこから、私たちが望む理想の会社の在り方のヒントが見えてきました。

 


<History>
~田子社長が起業したきっかけとコスモピアの歩み~

●1979.3 封建的な地方都市から、希望を抱いて上京
山口県萩市で公務員の両親と兄2人の末っ子として育ち、幼少期より「ジェンダー差」を感じる。
東京であれば男女平等であろうと、早稲田大学への進学と共に上京する。

●1980年代 女子大生ブームを追い風に
「女子大生ブーム」の時代となり、女子大生がもてはやされていた。
しかし、当時は4年制大学出身の女性は企業から「扱いにくい」と敬遠され、就職先はほぼ皆無という状況。
一方、企画会社でのアルバイトでは女子大生ならではの発想や注目度で、
イベント企画を担い、働く楽しさを知る。

●1983.3 卒業と同時に起業
早稲田大学卒業と同時に、バイト仲間の女子大生たちとともにコスモピアを設立。
千代田区のマンションの小さなワンルームに構えたオフィスは社員やアルバイトの女子大生たちであふれ返り、
その熱気で空気が薄く感じたという。

●1980年代後半~ 自身の出産を経て、女性が働きやすい環境づくり
1987年、田子社長が出産。会社でもリモートワークを取り入れはじめる。
結婚や出産を機に仕事を辞めていた女性たちを「テクニカルスタッフ」として組織化し、
在宅勤務での就業を可能にした。

●2000〜 産休・育休などの体制整備
当時の基幹業務に従事する社員たちが相次いで
出産・育児、家庭の事情による国内外の転居などで勤務が難しくなったため、
在宅勤務のほか早期復職ができるように体制を整えた。
以降、正社員からパートタイム勤務への転換、在宅勤務、副業OKなど柔軟な働き方を実現する。

●2011 ペーパーレス化・クラウドシステムを導入
東日本大震災の影響で、業務が混乱。
意思決定や部下への指示などを強化するために、全社的にテレワークの導入をめざし、
ペーパーレス化とクラウドシステムの導入に着手。以降、ICTリテラシーの向上に取り組む。
その他、IT資格、キャリアコンサルタントや産業カウンセラーなど
業務に関わる資格の取得を積極的に推進し、受験料などの費用をサポートする。

●2021.1 プラチナえるぼし認定を取得
女性活躍を促進する優良企業を認定する「プラチナえるぼし認定」を取得。
当時の認定企業は全国7社しかなく、都内企業ではコスモピアが2社目。
認定にはさまざまな基準要件を満たす必要があるが、
なかでもリモートワーク実施率100%であることが評価された。

●2022.4 上場企業のグループ企業に
2022年4月、株式会社ヒューマンクリエイションホールディングスの傘下となる。
2023年の創業40周年に向け、企業としてより力強く、より安定し、
ますます発展させることが理由のひとつ。
田子社長の出身地である山口県萩市にて、山口県サテライトオフィス誘致協議会のアドバイザーを務める。

 


「大学までは男性と同じ立場だったのに、社会に出たとたん、ハシゴを外された気分に」

—田子社長の学生時代は、男女雇用機会均等法の施行以前ですよね。女性の立場や働くスタイルはどういうものだったのでしょうか。

当時、女性は4年制大学より短大へ進学するのがポピュラーでした。短大を卒業して、就職して、社内結婚をして寿退社、そして専業主婦になるという流れでしたね。いまでは考えられませんが、女性が入社してくると若い男性社員の「お嫁さん候補」として見られていたし、本人たちもそのつもりで会社には長居しないのがよいとされた時代です。

※編集部注:男女雇用機会均等法の施行は1986年4月。

—そんな時代背景でありながら、田子社長が4年制大学へ進学した理由は?

東京に行きたかったから(笑)。私は山口県萩市出身で、非常に封建的な町で育ったんです。子どもの頃から、なんとなくジェンダーギャップに接し、居心地の悪さを感じていました。母が教師として働く姿を見ていたので、働くことには抵抗がありませんでしたが、地元で長く仕事に就くには教師か看護師しか道がない。東京に行けば、もっと自由にいろいろ可能性があり、未来がひらけると思ったのですが……

 

 

 

 

 

 

 

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